含胸抜背は心身の望みをかなえる第一歩
太極拳に要諦がある理由
太極拳をなんのためにやるのかといえば、武術的に強くなるため、心身の健康のため、競技において勝つため、のおおよそどれかに当てはまります。太極拳要諦とは、これらを達成しやすくするための指標となるものです。要諦を知らずにただ行うよりも、ポイントを押さえて行えば目標に近づきやすくなります。
含胸抜背の解釈
太極拳要諦には、身体についてのもの、心の在り方についてのものがあります。その一つである「含胸抜背」は太極拳を行うにあたって、ひいては日常生活において「このようにしなさいよ」と「身」のこなしについて述べられたものと一般には解釈されます。含胸とは胸を張り過ぎないようにすること、抜背とは脊柱を上に伸ばすことです。
胸を張るのは大切で、胸を張ることができなけれ背中は円くなり、これにともなって自らの姿勢の悪さににより圧迫された肺は、通常よりも取り込む酸素の量が減ってしまいます。ときどきする深呼吸よりも、常日頃から姿勢を正しておくことの方が得られるものは大きいでしょう。このように胸を張ることは大事ではありますが、張り過ぎてはいけません。胸を張る意識が強すぎると場合によっては反り腰になり、これにより懐が浅くなります。反り腰や浅い懐は、武術的な面からも、健康の面からも、また競技太極拳の場合であっても不都合が生じます。胸を張ることと懐を深くすることは、両立していなければなりません。
懐を深くするといっても、あえて肩を前に出し、胸骨(胸の真ん中の骨)を引っ込ませるような極端な姿勢ではありません。具体的には気を付けのまま少しお腹をへこませて、鳩尾(みぞおち)を持ち上げるイメージです。含胸は抜背とともにあるもので、抜背により含胸は体現されます。もちろん立身中正、虚領頂頚、沈肩垂肘、尾閭中正とも矛盾するものではありません。
心の在り方でもある含胸抜背
含胸抜背には、懐を深くする意味もあるのは先述のとおりです。また「懐を深く」という言葉には、身的な意味だけでなく心的な意味があります。武術家は、武術をやらない人からすると怖い存在と見られることもあり、武術家の在り方とされる「威風堂々」は、ともすれば人を怯えさせてしまいかねません。含胸抜背にはそれを戒める意味もあったようです。(参考・太極拳理論の要諦、福昌堂)
姿勢を正そう
昔から武道や稽古事の世界でだけでなく、日常の生活においても姿勢が大切であるといわれます。しかし気を付けていても、すぐに「よくない姿勢」になってしまうのは多く人が経験しています。これは姿勢を維持するために必要なだけの筋肉の緊張を、長い時間保てないことによります。姿勢を維持するためには、重たいものを持ち上げたりなど瞬発的な力は要りませんが、一定量の筋力を出し続けることが要求されます。そのためにはいかに姿勢に意識を向けられるかがポイントになり、太極拳を行う目的の一つもここにあるといえるでしょう。
清気を取り入れ、腎気を活性化する
清気を取り入れることはすべての生命活動にとって欠かせないもの。含胸抜背は、太極拳の目的を実現させるための要諦の一つにすぎませんが、そのように考えるととても重要なものであることを改めて認識します。太極拳は呼吸法でもあり、大気中より体内に取り込まれた清気と、飲食によって得られた気が合わさり生じた「後天の気」が腎を強くし、また腎のもつ「精(気血の源)」により後天の気は、五臓六腑、四肢体幹を滋養します。健康になりたい、病気を治したいなど、心身に対しての望みをかなえることが目的であれば、そのための手段はどのようなものでもいいわけです。寝ているとき、起きているとき、無意識にしている呼吸を意識してやれば呼吸法となります。呼吸を意識して、体を適度に動かし、自分にとって長く続けられるものであれば太極拳でなくとも、どのようなものでも構いません。心を落ち着け、気血を巡らしましょう。