強迫神経症と東洋医学
強迫神経症(強迫性障害)とは、自分でも意味のない行動だとわかっていても、それを止めたくても止められない精神疾患です。例えば何時間も手を洗う、カギを閉め忘れていないか何度も確認するなど。原因は不明です。
強迫とは
「強迫」とは、強く迫ること。相手に無理を強いることです。強迫性障害は、強く迫るのも迫られるのも自分、無理を強いるのも強いられるのも自分で、強迫性障害の治療は自分との闘いということになります。一説によれば、強迫と「嫌がらせ」の違いはそれによって恐怖をおぼえるかどうか。恐怖をおぼえればそれは強迫されたということ。そうでなければたんなる嫌がらせです。「強」は頼もしくもある反面、状況によっては周りのものに「恐」的感情を抱かせることもあります。この病気の名前が「嫌がらせ障害」ではなくで「強迫性障害」であることからも、そのように考えられます。
東洋医学的解釈
東洋医学的にみると精神疾患は、五臓の「心」との関りが深い病気です。心には主に2つの働きがあって、一つは心臓としての働き、もう一つは脳(五臓の司令塔)としての働きです。「心は神(しん)を蔵す」という言葉があり、この神(しん)は「精神」の神(しん)です。五行では心は「火」であり、火(心火)を生むのは木(肝木)です。肝はストレスを最初に受ける臓腑で、ストレスが強すぎたり、ストレスがかかった状態が長引き肝が対応しきれなくなると、心の症状があらわれます。心の症状とは、不眠をはじめとする精神的疾患がそれに当たります。
心を下支えするのが腎で、腎は生命の根源とされます。五志「怒・喜・思・憂・恐(驚)」でいえば「恐」との関りが深く、極度の恐怖体験や、強いストレスなどによって腎は傷(やぶ)られ、また腎が衰えることで、ちょっとしたことで恐がったり、驚きやすくなったりします。
腎と心は本来、エネルギーを交換し合い「心腎相交」の関係にあります。心、腎、お互いの不調によって「心腎不交」となると、こころと体の双方に症状があらわれるようになります。心(こころ)がコントロールできなくった状態を心火独亢といって、強迫性障害、不安神経症などはこれに該当します。
東洋医学的養生
心は神を蔵し、腎は精を蔵します。精とは生命の源であり、気も血も精が変化してできます。精とは気血の前駆物質のようなものです。このようなことから精神疾患は心と腎の不調によって生じる病であると東洋医学ではとらえ、治療においては補心、補腎を行い、それぞれのエネルギーをアップして心腎相交を図ります。
精神障害と鍼灸
強迫性障害は、現時点においては、西洋医学の薬物療法や行動療法が主たる治療で、それによって症状が改善することもわかっています。東洋医学では「強迫神経症」という西洋医学的病名をもつ疾患に対しての治療法はありません。先に述べましたように、精神疾患に対しての東洋医学的治療は、心腎を高めることを主に、こころと体の調子を調えることにより、西洋医学的治療をより効果的なものとします。また強迫神経症に対して、瞑想や呼吸法、気功は強迫観念を弱め、強迫神経症に有効との報告もあります。
強迫性障害とそれ以外のもの
意識は同時に二つの方向に向きません。ということは一つのことに没頭すれば、一つのことに固執してしまうのを防げるわけです。気功、太極拳、瞑想、ヨガなどは「心を落ち着ける」ことを目的に行うものです。ヨガには「つなぎとめる」という意味があり、これは心がどこかへ行ってしまうのをつなぎとめるということです。気功、瞑想、ヨガにこだわる必要もなく、どのようなものでも構いません。強迫性障害を対象となっている以外の何かに没頭集中してみましょう。先に述べましたように、精神疾患は心と腎の病気のであると東洋医学ではとらえます。心は人体の最も高い所からすべての五臓を統括し、腎は精の源で、人体の一番下(もしくは深い所)で生命活動を支えています。腎が弱いままの状態で、いくら心(脳)だけで精神疾患を克服しようとしても、それはとても難しいといわざるを得ません。
腎は精を蔵し、霊台は心経に属す
正経十二経絡の「心経」に所属するツボにがあり、霊には「よくわからないもの」という意味があります。突きつめて考えれば原因がよくわからない病気は実に多く、人間の心と体は不可思議なものです。原因の究明はそれはそれとして、先人たちの知恵をぜひ治療に活かしたいものです。
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